本気と本音はどこへ行った?
炎上アナウンサー
ネットで炎上してリアルで仕事を失っていく炎上アナウンサーが話題です。
数々の番組を降板させられ、ついにはテレビとブログで謝罪と相成りました。
ちなみに、現在UPされているブログの謝罪文は修正版でもともとはこんな内容でした。
まあ、謝罪する際に自らの正当性を同時に主張すると叩かれる、というのはこの件に限らず、様々なシーンで見られますので、そもそもが単純に脇が甘い謝罪文だった、という話ですね。
……今の謝罪文もまだ叩かれているようですが。
さて、はてブも様々な厳しい指摘で盛り上がってますが、当ブログでは、今回の騒動における、例の記事――正確には関連するカテゴリについて、特に論じる気はありません。
ただね、ひとつだけ。
残念だな、と思うことがひとつだけあります。
本当にひとつだけ、ちょっと長くなるけど言いたいことはひとつだけ。(くどい
本気と本音はどこ?
あなたの本気と本音はどこにいったの?
彼のブログのタイトルは「本気論 本音論」
偏った内容だったとしても、言葉が過激だったとしても、彼なりに「本気と本音」で運用してきたブログだったはずなのに、今回の謝罪には「建前」しか感じられません。
「消火活動」にしか見えません。
自分で放火しといて消火活動て……
謝るのであれば、誠心誠意、本心から謝る。
謝る気が無いのであれば、最初から謝罪文なんか載せない。
ただただ自分の信念に従って社会問題に切り込んでいく。
それが「本気論 本音論」ではないのでしょうか?
それが「ジャーナリスト」ではないのでしょうか?
(切り込むにあたって、もう少し勉強が必要そうですが……)
今回の炎上騒動を受けて、良くも悪くも、多くの人が「社会保障給付費」と「人工透析」について考えるキッカケになったと思います。
そういう意味では、ジャーナリスト・長谷川豊が、社会に一石を投じた成果である、と言えるでしょう。
今回の謝罪にどういう意図が働いているのか、私たちは背後関係を憶測することしか出来ませんが、その結果、彼のブログが
「本気論 本音論」⇒「戯れ論 建前論」
となってしまうようであれば、本当に残念なことだと思います。
責任
ご本人の言うように批判には責任が伴います。
もっと言うならば自由な発言・表現には責任が伴います。
それは「ネットのブログのタイトルの文言」ひとつでも同様です。
本人も「大失敗してしまった」と記していますが、失敗したのであれば責任を取らねばなりません。
責任の取り方は色々あります。
地上波におけるレギュラー番組の降板を食い止めるためか、家族の生活を守るためなのか、はたまた全然別のなにかのためなのか、どのような理由がこの建前全開の謝罪へと繋がったのか分かりませんが、今回選んだ責任の取り方は本当に後悔しないものだったのか。
ご本人の「本気と本音」に今一度、問いかけて欲しいと思います。
後悔したくないからフジテレビを辞めた
名誉も、マイクも、信頼も、友人も全部取り返す
その上で、家族も守ってやる!
ハローワーク行って失業保険、申請してこよっと♪
そう言って、「第二の人生」を歩み始めた頃の彼は
どこに行ってしまったのでしょう。